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阪急バス写真集

84年以前のバスの話 

Since 1999.09.23

(Ver2.0)

 

ここでは、私・A-Valの記憶にある84年式以前の阪急バスの話を書き綴りたいと思います。写真を全く撮影していなかったことが本当に悔やまれるところです。尚、この話は私・A-Valの住んでいた茨木地区が中心になっています。

私が初めて茨木に来たのは1982年の夏でした。この時の新車は西日本車体53MCの最後の頃の車輛で、側窓が観光バス並の大窓で上部引き違い窓であったことに驚いていました。最近では路線車でも極普通に見られるようになったこのタイプの側窓も、この頃は非常に珍しいものでした。

ただ、富士重工のバスに見慣れた私にとっては、後部窓のセンターピラーっていうのはあまり好きにはなれなかったこともまた事実です。のちの83年式では後部のデザインが変更されていますが(というか、そのタイプの方が阪急バスでは主流であった説が濃厚…)この82年式のバスは茨木サニータウン線で使われていました。また、車庫には呉羽車体のスケルトン車がいたことを憶えています。

83年初頭には、茨木〜阪急山田間に83年式が大量に投入されました。外観は82年式と殆ど同じものの、後部窓が天井まで張り出すタイプとなって、方向幕が内部に埋め込まれたのが特徴となっています。個人的に、このスタイルは好きで、まさに西日本車体53MC車体最後の最高傑作と言えると思います。

車内では、丸型のスピーカーが平板スピーカーに変わりました。クラリオン製のスピーカーで、拡声器の部分が黒色、他は銀色で上を見上げると目立つ存在でした。これは84年式も継承されましたが、85年式からは表面に保護材のついた目立たない形状に変化しています。

1984年初頭…千里中央に行くと、方向幕部分が黒く、幕も黒地に白抜き文字となり、また見慣れぬ箱型ボディに驚いたことを憶えています。そう、これが今の阪急バスの形態のはしりとなった58MC車体の84年式バスだったのです。その後、古いバスの溜まり場となっていた茨木〜阪急石橋線に大量投入されました。

ということで、これから私の記憶に残る旧型バスを追いかけていきたいと思います。ちなみに、73年式以前は車体番号の意味も分からず、デザインと路線ばかりを追いかけていました…。従って、年式も不正確です。

68年式?
現役で走行している姿は見た事がなかったのですが、茨木車庫内で倉庫代わりに使われていたのを見たことがあります。車体は三菱自工製で窓はいわゆる「バス窓」で後部の窓の上に段があったのが特徴でした。この頃のバスとしては珍しくHゴムは黒色でした。

69年式?
阪急茨木〜阪急石橋間に使用されていました。タイプが2種類あって、三菱呉羽製と思われる前後とも丸屋根で前頭部には「日さし」が付いたバスでした。側窓はいわゆる「バス窓」で、上段はHゴム支持の固定式で、下段上昇式でした。

もうひとつのタイプは、この時以降見た事がない大型車、川崎重工車体のいすゞ車でした。これは、側窓は二段窓となていましたが、後部は丸屋根です。今は三菱車のみとなった茨木地区も、かつてはいすゞ車もちらほら見られました。

両者とも非冷房、Hゴムは灰色で後部方向幕も無く「阪急バス」とレタリングされていたのが特徴です。後部方向幕については74年式まで一貫して付いていませんでした。

これらのバスは、前述の1984年式に置きかえられました。

70年式?
西日本車体で二段窓、エンジンはいすゞで、茨木〜国鉄富田(当時)・阪急水無瀬線で使われていました。Hゴムは黒色で、後部はカマボコスタイルであるものの、方向幕は無く、例によって「阪急バス」の文字が書かれていました。窓のフレームが異様に細く見えたのが特徴でもありました。

85年式が三菱呉羽車体(更新車で何故か非冷房…72年式?)使用の茨木〜安威団地線(当時)に投入されて、その72年式と思われる三菱呉羽車に押される様に姿を消していきました。

71年式?
三菱自工製で、後部が異様に長く、戸袋窓の他に固定窓がありました。側窓はアルミサッシ二段窓になっていて、Hゴムは黒色でした。また、アルミサッシ二段窓の方向幕付き更新車の三菱呉羽製もいました。何故かこのバスは後部に方向幕があり、更新車であったにも関わらず非冷房でした。ちなみに、更新車のHゴムは全車黒色になっていました。茨木〜郡山団地線で使われていました。

86年式のバスが投入されて置きかえられました。

72年式?
前述の茨木〜安威団地線で使われていた三菱呉羽製のバスです。スタイル的には71年式と同じですが非冷房で後部方向幕はありませんでした。更新時期は1983年で、それ以前はHゴムは灰色でした。これは、前述の通り茨木〜JR富田線に使われていました。

こちらは、千里方面から転入したと思われる側窓が大型になった初期の車輛、81年式西日本車体53MCに置きかえられました。

他、三菱自工製のバスで、後部が一般タイプに戻されたタイプも在籍しており、阪急石橋線系統で細々と使われていたようですが、こちらは87年式に置きかえられました。

73年式
ここで、ようやく年式と車体の確証ができるようになります。茨木〜余野間の山岳路線に使用されていました。西日本車体製で、後部はカマボコスタイルではなくて丸屋根でした。この年式から冷房がついていましたが、改造車である可能性が高いです。Hゴムは黒色となっていました。

そして、最後の未更新車でもありました。未更新車は外観はHマークが正面に無く、前面方向幕廻りが全て水色で、赤とブルーの細帯の中は車体色の帯で、白色帯ではありませんでした。内装は壁が黄緑色でシートがグリーンのビニール製の表地で、今の豪華に見えるバス達とは対称的でした。

これらのバスは88年式の投入で置きかえられました。

74年式
73年式と同様、山岳路線用で、阪急茨木〜桑原橋・竜仙峡・南掛間の路線の全車、一部余野線に使われていました。三菱呉羽製でこの年式より全車更新されたようです。更新の手がけだったようで、塗装が新塗装であるにも関わらずHマークが無かったり、前面塗り分けが旧タイプのままだったりとバラエティがありました。

後部の非常口側の窓は2タイプあって、全面引き違い窓のタイプと上部はHゴム支持の固定窓で下部が引き違い窓のタイプがありました。前者のタイプは後上部にカメラが搭載されていました。

89年式の投入で置きかえられました。

これ以降、茨木を離れておりましたので83年式まで置き換え時期は不正確となっています。

77・78年式
西日本車体のカマボコスタイルのバスで、後部に方向幕が付いておりました。当初はHゴムは灰色の未更新でしたが、後に更新されてHゴムも黒色化されています。

茨木〜茨木サニータウン線で使われていましたが、この頃から排ガス規制が強化されたようで、91,92年式に置きかえられた模様です。

以降、後日に記述したいと思います。

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