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阪急バス写真集 84年以前のバスの話 |
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ここでは、私・A-Valの記憶にある84年式以前の阪急バスの話を書き綴りたいと思います。写真を全く撮影していなかったことが本当に悔やまれるところです。尚、この話は私・A-Valの住んでいた茨木地区が中心になっています。
私が初めて茨木に来たのは1982年の夏でした。この時の新車は西日本車体53MCの最後の頃の車輛で、側窓が観光バス並の大窓で上部引き違い窓であったことに驚いていました。最近では路線車でも極普通に見られるようになったこのタイプの側窓も、この頃は非常に珍しいものでした。
ただ、富士重工のバスに見慣れた私にとっては、後部窓のセンターピラーっていうのはあまり好きにはなれなかったこともまた事実です。のちの83年式では後部のデザインが変更されていますが(というか、そのタイプの方が阪急バスでは主流であった説が濃厚…)この82年式のバスは茨木サニータウン線で使われていました。また、車庫には呉羽車体のスケルトン車がいたことを憶えています。
83年初頭には、茨木〜阪急山田間に83年式が大量に投入されました。外観は82年式と殆ど同じものの、後部窓が天井まで張り出すタイプとなって、方向幕が内部に埋め込まれたのが特徴となっています。個人的に、このスタイルは好きで、まさに西日本車体53MC車体最後の最高傑作と言えると思います。
車内では、丸型のスピーカーが平板スピーカーに変わりました。クラリオン製のスピーカーで、拡声器の部分が黒色、他は銀色で上を見上げると目立つ存在でした。これは84年式も継承されましたが、85年式からは表面に保護材のついた目立たない形状に変化しています。
1984年初頭…千里中央に行くと、方向幕部分が黒く、幕も黒地に白抜き文字となり、また見慣れぬ箱型ボディに驚いたことを憶えています。そう、これが今の阪急バスの形態のはしりとなった58MC車体の84年式バスだったのです。その後、古いバスの溜まり場となっていた茨木〜阪急石橋線に大量投入されました。
ということで、これから私の記憶に残る旧型バスを追いかけていきたいと思います。ちなみに、73年式以前は車体番号の意味も分からず、デザインと路線ばかりを追いかけていました…。従って、年式も不正確です。
68年式?
69年式?
もうひとつのタイプは、この時以降見た事がない大型車、川崎重工車体のいすゞ車でした。これは、側窓は二段窓となていましたが、後部は丸屋根です。今は三菱車のみとなった茨木地区も、かつてはいすゞ車もちらほら見られました。
両者とも非冷房、Hゴムは灰色で後部方向幕も無く「阪急バス」とレタリングされていたのが特徴です。後部方向幕については74年式まで一貫して付いていませんでした。
これらのバスは、前述の1984年式に置きかえられました。
70年式?
85年式が三菱呉羽車体(更新車で何故か非冷房…72年式?)使用の茨木〜安威団地線(当時)に投入されて、その72年式と思われる三菱呉羽車に押される様に姿を消していきました。
71年式?
86年式のバスが投入されて置きかえられました。
72年式?
こちらは、千里方面から転入したと思われる側窓が大型になった初期の車輛、81年式西日本車体53MCに置きかえられました。
他、三菱自工製のバスで、後部が一般タイプに戻されたタイプも在籍しており、阪急石橋線系統で細々と使われていたようですが、こちらは87年式に置きかえられました。
73年式
そして、最後の未更新車でもありました。未更新車は外観はHマークが正面に無く、前面方向幕廻りが全て水色で、赤とブルーの細帯の中は車体色の帯で、白色帯ではありませんでした。内装は壁が黄緑色でシートがグリーンのビニール製の表地で、今の豪華に見えるバス達とは対称的でした。
これらのバスは88年式の投入で置きかえられました。
74年式
後部の非常口側の窓は2タイプあって、全面引き違い窓のタイプと上部はHゴム支持の固定窓で下部が引き違い窓のタイプがありました。前者のタイプは後上部にカメラが搭載されていました。
89年式の投入で置きかえられました。
これ以降、茨木を離れておりましたので83年式まで置き換え時期は不正確となっています。
77・78年式
茨木〜茨木サニータウン線で使われていましたが、この頃から排ガス規制が強化されたようで、91,92年式に置きかえられた模様です。
以降、後日に記述したいと思います。
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